私の双極性障害について
私と双極性障害についてのお話をします。
自分のことをお話しするのは恥ずかしいことでもあるのですが、思いきって書いてみようと思います。
若いころのエピソードとして思い浮かぶのは、山に登っていたことです、
ムラムラと山に登りたい、という気持ちだけが湧いてきて、
景色などはどうでも良くて、無茶な計画を立てては、帰ってきて数週間ぐったりして過ごす、
ということがありました。今思うと、この頃から双極性障害らしさがあったと思います。
つまり、山に登る(まさに上に行くイメージですね)ことで躁状態となり、
下界に下りるとうつ状態になる、ということを繰り返していた時期がありました。
学生の頃は、完全な無気力状態(アパシーとも言います)になったこともありましたが、
これも今考えると双極の波が押し寄せてきていたんですね。
就職が決まって、あとは卒業するだけという時期だったのですが、全く楽しくなかったのです。
自己啓発セミナーにハマったこともありました。
自己啓発セミナーは双極性障害の方にとっては非常に危険です、
なぜなら、自己啓発セミナー自体が躁状態を作り出すシステムになっていて、
躁状態をより悪化させてしまうためです。
(少なくとも、私が行った自己啓発セミナーはそのようなものでした。)
私にとって自己啓発セミナーで得たものは、大きな傷つきと、
『人は元気でなければいけない』『元気な方が良い』という思い込みだけでした。
(社会と双極性障害 もお読み下さい)
初めて自分のことを「おかしいな」と思ったのは、就職してから、初めての重いうつになった時のことです、
この時は転勤が決まり、数ヶ月程度のうつ状態だったのですが、同僚のフォローがあって持ち直せました。
このころ上司に言われたことを思い出します。
「君は、元気が良い時もあるし、そうでないときもあって、不思議だねぇ」と…
周りの人は意外と気がついているものですね。
その後、更に大きなうつ期がやってきて、仕事を辞め、抗うつ薬を飲み始めることになったのですが、
今度は躁状態になり、毎朝近くの山へランニングに出かけたり、徹夜でホームページを作ったりしていました。
これを躁転といいます。多くの双極性障害の方がはじめ、うつ病と誤診され、
抗うつ薬を飲まされたりするのですが、私もその一人だったわけです。
30歳になったころから、自分に興味を持ち始めました、それでも自分が双極性障害とは思っておらず、
波に翻弄されてはいたように思います。
ここで、心理学に興味を持ち始めました。自分はいったい何なんだろう?と、
そして勉強を始め、臨床心理士になるわけですが、
実は臨床心理士になってからも自分は双極性障害だとは思っていませんでした。
しかし、臨床を重ねていくにつれ、自分が双極性障害ではないかと思い、
知り合いになった精神科医の先生と話をして、ようやく自分が双極性障害であること、
投薬の必要性があること、に気づかされました。
薬もなかなか合うものが無くて、非常に苦労しましたが、
自分自身もカウンセリングを受け始めて、やっと、この双極の波とお付き合いしてゆくことができるようになりました。
私にとっては、薬だけでもダメで、カウンセリングだけでもダメだったのでは無いかと、今は思っています。
私は、私と同じ苦しみを経験している方に、なんとか力になる方法は無いか、とこのサイトをオープンすることにしました。
この『波』を乗りこなしていく、そんなお手伝いをしたいな、と思っています。